さぁ寄ってらっしゃい!見てらっしゃい!運をつかむ場所だにゃん
浅草寺は言わずと知れたたくさんのご利益があるパワースポット。そんな浅草寺の境内に、身を粉にして人々の願いを叶えてくださるとてもありがた~いお地蔵様がいらっしゃる!
当サイトの福猫「きゃろ」の一言
お地蔵様が身を削って働いてくれてるのかにゃ?
もしかして痩せたい人にご利益ありなら、きゃろもあやかりたいにゃあ!
東京都台東区浅草2-29-19
目的のカンカン地蔵尊がある銭塚地蔵堂は浅草寺境内の北西奥にある。雷門前からスタートすれば、仲見世~宝蔵門~五重塔~二天門と、本堂に至るまでにも素晴らしい歴史的建造物の数々があり、歩いているだけでもパワーをもらえている気分になる。本堂に参拝したら西へ向かえば薬師堂、屋根に阿吽龍が浮き彫りされた鴟尾を備える影向堂がある。鴟尾を取り付けるときには不思議と雨を呼ぶと言われいたとおり、記録的な日照りの年であった平成6年(1994)の取り付け後には恵みの雨が降った。そして淡島堂の奥に目指す銭塚地蔵堂がある。
「福猫・きゃろ」の一言
ここに来るまでにたくさんパワーもらってるにゃ。いい汗もかいていよいよお地蔵様とご対面にゃ!
ところで、和装したお嬢さんというのは見どころにゃのかな?にゃよね?にゃん。
赤い幟がはためく中、六角形を基調にしている真新しい建物が令和元年(2019)11月に再建された銭塚地蔵堂である。堂内に金色の六地蔵尊が安置されており、この下に江戸時代の通貨『寛永通宝』が埋められているといわれることから『銭塚』の名がある。江戸時代・享保年間(1716~36)に摂津国有馬郡(現在の兵庫県西宮市)に山口某という武士の妻がおり、子供二人と暮らしていた。貧しいながらも彼女は武士の妻としての誇りを失わず、他人からの援助を断って清貧の生活を送っていた。ある時、子供らが庭先に埋まっていたたくさんの寛永通宝を掘り当てた。しかし彼女は、理由のない金を自分たちのものにするのは恥と考え、金を埋め戻させた。この賢い母に育てられ、子供らは立派に成長し、家が繁栄したので、子供らは金を埋めた場所に地蔵尊を祀ったという。これが現在、西宮市山口町に残る銭塚地蔵尊である。この地蔵尊の御分霊を勧請したのが浅草寺の銭塚地蔵堂であり、商売繁昌のご利益を求めて祈願する人が多い。
「福猫・きゃろ」の一言
しっかりした考えを持って真面目に働けば経済的に困ることはない、というような教えかにゃ?
お金はたくさんあっても困らない気がするけどにゃあ、で、カンカン地蔵はどこにゃ?
堂内でお供え用のろうそく二本、お線香、素焼きの皿に乗った塩二組をお布施と引き換えにいただき、折角なので六地蔵さまにも参拝する。お顔が六面あるので一周しながら拝礼。塩を供えるところから別名『塩なめ地蔵』とも呼ばれている。さてカンカン地蔵はどこに、と堂外に出てみれば左手奥に小さなお社がある。
ん?え、えぇっ、え~っ!?
カンカン地蔵の説明看板の先にあるのは、見るも無残なお姿になっている元お地蔵様?
元々、大日如来像であったと伝えられているが、「御身を削ってその粉を持ち帰れば、お金に困ることがない」との言い伝えがあったために、ご利益を期待した方々が像を削り、削りまた削ったことでこんなお姿になったそうである。人々の願いを受けて、文字通り、身を削って粉にしてきたのである。商売繁盛・金運アップのご利益があるといわれているが、実は病気平癒というご利益もあったようだ。病気に苦しむ方が平癒を祈願すると、まるで病を吸い取ってくれたように治ることが多々あった。そのため、像に素手で触れると吸い取られた病をもらい受けてしまうので、小石でカンカンと叩いて参拝するようになり、カンカン地蔵と呼ばれるに至った。ごくろうさまです、これからもよろしくお願いします、との思いを込めて塩を供え拝礼させていただく。カンカン!原型をとどめていないカンカン地蔵尊ではあるが、なんとなく優しく温かく見守っていただいている気配を感じた。
「福猫・きゃろ」の一言
こんな姿になるまで頑張ってくれたのだにゃ。ありがとうございますにゃん。
祈願するときは優しくカンカンさせていただくにゃ!
カンカン地蔵尊の前には小石が置かれているが、あくまでも叩くためのものであるので、もちろん削ってはならない。
素手で触れると吸い取られた病をもらい受けてしまうというので触らないようにしたい。他のパワースポットを真似して”削った石をお守りに”なんて事は逆効果になるので削ってはならない。(シツコイ)いや、それほどお姿が。。。。。